2017年02月02日

感想文:20歳の国『花園RED』その2

引き続き20歳の国『花園RED』について。
もう少し分析的に行こう。

"スポーツもの(必ずしも"スポ根"とイコールではないしマインドスポーツという視点から『ヒカルの碁』も『ちはやふる』も含める)"でおれが重要視するのが、「競技の特性と物語性とのリンク」だ。そのスポーツならではの面白さが描けているか?描けないのなら「他のスポーツでいいじゃん」となる。更にそれが物語として活きているか?そこが繋がらないなら「物語にしなくても観戦に行けばいいじゃん」となる。
特にマイナースポーツ(ちなみにおれはまだまだラグビーもマイナースポーツだと思っているよ)を扱っている作品には注意が必要で、得てして"扱う"ということ自体が作家にとっても観客にとっても加点対象になってしまい、結局その競技のストロングポイントに目が向けられない、というもったいない結果に終わることがままあるからだ。
しかしその点『花園RED』は、ラグビーでなければならない。
ラグビーは「全員が身体をぶつけ合う」ことが前提のスポーツだ。それがルールの前提にある。サッカーやバスケだって身体的接触とそれによるスクリーンプレイやポジショニングは今でこそ当たり前だが、本来フィジカルプレイの多くはルール上では制限されている。バレーボールやテニス、陸上競技は言うに及ばず、だ。アメフトも同様激しいコンタクトスポーツだが、こちらは防具をつけている上、パスでのゲイン(陣地を進むこと)が認められている。更にキック専門のディフェンスに関わらないプレイヤーが存在する。よってここではラグビーを贔屓させてもらう。
勝つために「全員が身体をぶつけ合」わなければならない、これはまさに青春群像劇のためにあるような競技性だろう。全身を投げ出し、衝突することで少しずつ少しずつトライに向かう。ときにはみずから潰れることで仲間のプレイの起点となる。だから『スクールウォーズ』と同じく『花園RED』はラグビーでなければならなかった。ラグビーにおける「ワンフォーオール・オールフォーワン」はただの標語ではない。勝つための戦略なのだ。
もうひとつ、『花園RED』が"演劇"である、つまり"ライヴ"である、という点も重要だ。観客の目前で実際に肉体と肉体が衝突する、誤魔化しの効かないその"痛み"が、なんとも演劇的だと感じた。
ラグビー観戦に初めて行ったときに驚いたのがスクラム時の"音"だった。なんとも形容しがたい、肉と肉が弾み骨が軋む、胸に響く低音。テレビ観戦では味わえない"生音"が強く印象に残った。それは"痛み"の擬音(本来の意からは使い道が違うけど)だった。プロレス会場でも、チョップの高音、頭突きの低音、そういった様々な音によってなにより痛みが伝わるのは、視覚的な血の赤よりも振動として伝わる音の方が、より痛みに近いからだろう。その痛みに耐えて立ち上がる選手達に、我々は涙を流しながら拍手と声援を送るのだ。
『花園RED』にSEは使われていない。ボディ・パーカッションのように、というより"ハカ"のそれのように肉体を打って鳴らす音だけでそれを処理する。そしてラグビーシーンでは、本当にラグビーそのもののスクラムやモールやラックを本気で行う。予め"当たらないように"組み上げられた殺陣とは訳が違う。ボロボロになる前提でなきゃ、あれはできない。
当然、俳優への身体的負担は大きい。下手すりゃ否しなくても怪我を負う。舞台全面のフットライトにもし衝突したら、、、ボールが客席に突っ込んだら、、、そもそも演劇はライヴである以上、俳優に万一事故や病気があったら下手したらそこでその公演は終わりである(実際『BLUE』の方では体調不良によって一人降板している。)。その万一が興行全体に与える影響は他メディアとは比較にならない。
でも、やるんだよ。
なぜなら、そのリスクを避けたらラグビーじゃないから。
ラグビーは、前にボールをパスできない。そんな変なルールがあるから、だから相手にぶつかって少しずつ進むしかない。痛みに耐えながら。「前に投げりゃいいじゃん!」そう思うかもしれない。しかしその"ムダ"かもしれない拘りが、ラグビーを美しくしている。
だって痛みこそ、生(ライヴ)なのだ。
その痛みが音という形で客席に伝わる。その痛みに耐えて勝利しようと足掻くキャラクターと、痛みを共有する。それが演劇的(ライヴの)感動に繋がる。そのための装置として、演劇としてはとてもリスクが高い、"ムダ"であるはずの激しいコンタクトを行わなくてはならない。
しかしその本物の痛みが伝わるからこそ、虚構であるはずの舞台上の物語に強く感情移入できるのだ。普通その痛みを俳優は台詞や表情といったツールで、感情に訴える。しかし『花園RED』はそんなまどろっこしい手段を取らない。肉体そのもので伝える。物理で殴ってくる。それが非常にプリミティヴで、不器用で、なんとも舞台上の"アイツら"の姿と強く結びついているのだ。
『花園RED』は怪我のリスク、という本来演劇には必要ない"ムダ"に溢れた芝居だ。まったくスマートではない。だけど「学校行事のラグビーの試合で、モテたいがために勝利を目指す」というムダな努力で必死のヤツらに、その"ムダ"のなんと似合うことか。「学校行事」も「スポーツ」もムダ以外の何者でもない。だけど、だからこそ全力を傾けられる。
そして、現在において演劇というデットメディア一歩手前の表現もまた、そもそも"ムダ"の数々でできているのだ。だからこそ。

さて、『花園RED』がムダに溢れている、とか書いたけど、それはスタイルの話で脚本演出レベルでは相当丁寧だぜ、ていう「その3」に続く、はず。













posted by 淺越岳人 at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ラグランジュプロジェクト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月30日

感想文:20歳の国『花園RED』その1

2003年のラグビーワールド杯。決勝戦。
オーストラリアVSイングランド。
爆発的身体能力と当たりの強さを見せるワラビーズ(オーストラリア代表の相性、ニュージーランドがオールブラックスね)に対し、天才的キック精度を誇るエース、ウィルキンソンを中心に得点を重ねるイングランド。勝敗は延長までもつれ込む。
そして延長戦、残り30秒。
ボロボロの身体で走り続け、当たり続けたオーストラリア代表の頭上に蹴り上げられたボールは、美しい放物線を描いた。
スタジアム中が息を呑んでその行方を追う。
時が止まった。
決勝点のドロップゴール(ペナルティキックでなく、試合を流れの中でのゴールキック。スーパープレイの一つ)が決まった瞬間、興奮より先にどうにも切なさを感じた。あれだけ駆け回り、身体を張り、削り削られた選手たちが、それでも超えられなかった/超えさせなかった一線を、ボールだけが軽やかに飛び越えて行く。敗れたオーストラリア代表だけでなく、イングランド代表のフォワード陣にも若干の悔しさを観たが、おそらくおれの思い過ごしだろう。
でも、あの熱狂と表裏一体にある"切なさ"を、死闘を演じたプレイヤーが共有していたとしたら。

それこそ"ノーサイド"だろ、ユーミン。

20歳の国『花園RED』のラストシーン、そんなラグビーの原体験を思い出した。

「スポーツVSアート」みたいな図式がちょっと前に話題になったが(アレはアレで理解できる)、おれはスポーツとアートに大きな違いを感じていない。というか、そこに観たいもの、見い出したいものは共通している。"文学"だ。ラグビーも映画もプロレスもSFもサッカーも漫画もアメフトも時代小説もeスポーツもロックも、そして演劇も同じだ。先に述べたエピソードのような、興奮と寂寥がないまぜになった、語れるワンシーン/ワンセンテンス/ワンフレーズが、つまり"文学的一瞬"を感じるために観ている。

(こんなことを書くとすぐ「そうそう作品は全体の構造じゃなくて強烈な一発があれば良いよね」とか言い出すヤツが現れそうだから敢えて言っておくと、その「一発」のために全体の構成があるからな。フィニッシャーの前の組立なんだよ大事なのは。それが前提。)

『花園RED』、死力を尽くしてそれでも敗北する面々の、ゴールに吸い込まれるボールの軌道を追う表情には、確かに"文学"が存在した。そこには悔しさと熱狂と、ある種の達成感、違うな達観があった。それらがすべてあった。あの日のオーストラリア代表とイングランド代表のように。そしてもう一つ、射精のときも多分あんな表情なんじゃなかろうか、と思うのである。

(その2に続く、ハズ)




posted by 淺越岳人 at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ラグランジュプロジェクト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月31日

2016ベスト諸々

【長編小説ベスト3】
1.『タイムシップ』スティーヴン・バクスター
2.『彼女がエスパーだったころ』宮内悠介
3.『密閉教室』法月綸太郎

SFとミステリーしか読んでないのがバレる。『彼女が〜』は正確に言えば連作短編だが、まとめて読むことの意味が強いのでこちらに。法月綸太郎から『密閉教室』か『一の悲劇』か悩んだが"青春小説"としても読めるこちらを推す。

【短編小説ベスト3】
1.『ヒッチハイク』ジャック・ケッチャム
2.『純白き鬼札』冲方丁
3.『ノックス・マシンU』法月綸太郎

おわかりのように法月綸太郎イヤーでした。ケッチャムは『隣の家の女』くらいしか読んでなかったんですが、古本屋で偶然手に取った短編集が本当に素晴らしかった、そういう出会いの奴です。

【映画ベスト3】
1.『ズートピア』バイロン・ハワード
2.『この世界の片隅に』片渕須直
3.『ドント・ブリーズ』フェデ・アルバレス


"ブレクジット"と"トランプ"として2016年が語られ続ける対極として、その前に『ズートピア』が存在していたというタイミングだったこともまた、忘れてはならない。

【演劇ベスト】
該当なし。ほとんど観られてないし。『RENT』は相変わらず素晴らしかったけど。





posted by 淺越岳人 at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ラグランジュプロジェクト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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